熊本の地震から想うこと
地震大国日本。
阪神淡路震災、東日本大震災、今回の熊本の震災(んー、確か名前付けられてたよな)
俺は今回考えた。
ロシアンルーレット(拳銃の6発の弾倉の中に1発だけ弾が入っている)で弾が出てしまった。
あまり、褒められた言い方じゃない。
だが、地震って、日本国民全員強制参加のロシアンルーレットだ。
みんな、参加してるなんて、ぜんぜん感じていない。
ただ確率は1/6より随分と低い。
テレビで震災の特番やっているけど、見ているだけで暗い気持ちになってしまう。
こんなの流してどうなるのかな?
可哀想だと想うのは大事だ。
かといって、自分で犠牲を払って助けに行く立派な人は、そんなにいない。
今日も東京はいつもと変わらぬ時間が流れていた。
所詮、被害にあっていなければ他人事。
でも、それでいいと想う。
だから、考えよう。ロシアンルーレットだ。
次は俺が住んでいる場所で弾が出るかもしれない。
だから、1日1日、精一杯いきるしかない。
必要以上に同情する必要はない。気分が暗くなるだけだ。
普段、「何かいいことないかな」と言う人がいる。(気持ちはすごく解る)
今の被災した人は実感しているだろう。
普通に、何もなく生活していた日々は、本当に幸せだと。
若い頃は地震で「元気で若い人がいきなり死ぬ」って、受け入れられなかった。
でも、今なら「それもありか」と受け入れられる。天災だからどうしようもない。
だからこそ、真剣に想う。
大事なことは、同情することじゃない。
大事なことは、運良く震災を免れた「俺」は、「普段の生活」「何もない日常」に大きな幸せを感じ、精一杯生きることだ。
日本人として日本で生き続けていくのなら、次の地震で死んでしまうかもしれない。
俺が震災にあった時は、その時は、その現実を受け止めよう。
俺が震災にあったとして、震災を免れた人から「可哀想だな」と同情されるなら、そんなの、まじで「ノーサンキュー」。
同情する暇があるなら、普通の日々に幸せを感じ、頑張って生きてくれ。
と、いうわけで、俺も明日から、地震のことなんか忘れて、頑張ろっと。